2007年05月15日

大正3年にエスカレーター常設される

大正3年にエスカレーターが、日本で初めてデパートに常設された。

そのデパートは、三越日本橋店。

その前の年、上野で行われた博覧会にエスカレーターが出品されたという。

有料だったのを三越は無料として、人気を博したとか。

当時のエスカレーターは動く階段として設置され、その時代の人は百貨店が博覧会会場となっていたかも。

デパートは、多くのモノが揃っているところだが、ただモノを売っているだけでの小売業ではない。

こまやかなサービス、お客様第一の気配り、心配りが一つのデパート文化となっている。

日本のデパートは、日本の生活文化を創り、人々とともに歴史を歩んでいる。
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2007年05月08日

松坂屋の少年音楽隊

日本にはデパート会社が94社あるといわれ、店舗数は実に全国に263店もあるという。

その数あるデパートで、一番歴史があるのは名古屋の松坂屋。

清洲から尾張名古屋にお城が移って、1611年に「いとう呉服店」が創業されたのが、日本最古といわれている。

次いで、越後屋呉服店、後に西洋文化を取り入れて、三越として近代式の百貨店としては、日本初とも言われる。

百貨店は様々イベント、アトラクションに工夫を凝らし、松坂屋は少年音楽隊を創設した。

これが後に東京フィルハーモニー交響楽団となった。

バブルが崩壊して、最近すっかりメセナという言葉が聞かれなくなったが、松坂屋の社会に対する文化的貢献は、素晴らしいものがある。

百貨店はただ多くのモノの売っている小売業とは違う日本の生活文化を作ってきた歴史がある。

特に名門百貨店には、その歴史が今の息づいているのではないのか。

ちなみに阪急百貨店は、少女を集めて、宝塚唱歌隊を設けて、これが後に宝塚歌劇団として今日の隆盛を導いた。

http://www.honten.jp/column/tb.php?ID=987
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2007年05月05日

劇場通り面する岐阜高島屋

593.jpg
劇場通りには、岐阜高島屋が面しており、自転車で買い物客が集まる。

高島屋は写真左にある。

柳ヶ瀬地区も二極化、賑わう高島屋と劇場通り、そうでない地区。

写真は、4月30日に撮影。

岐阜高島屋1
岐阜高島屋2
岐阜高島屋3
もう一つの岐阜高島屋は、お洒落な街並み玉宮通りにあります。
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2007年05月03日

岐阜高島屋

e40b034a-s.jpg岐阜駅から北へ歩いて、10分ぐらいのところにあった。

岐阜高島屋の北側玄関口には、水のせせらぎが聞こえ、アートの世界に浸ることが出来、気が落ち着きます。

写真は岐阜高島屋の前、4月30日に撮影。
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2007年05月02日

お洒落な街並み玉宮通り

3b1-s.jpg「岐阜駅周辺地区」と「柳ヶ瀬地区」の間に位置する玉宮通りは、お洒落な街並みに変貌を遂げた。

もともと玉宮通りは、典型的な路地裏通りだった。

ところが、岐阜市が中心市街地を再活性化するために、「光と緑あふれるショッピングモール」を目指したことで、この辺りは風景ががらりと変わった。

細い路地裏は、まるで空間芸術の世界に入り込んだような錯覚にとらわれる。

歩いているだけで、楽しくなる。面白くなる。

写真は4月30日に撮影、前の公園から高島屋を望む。

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2007年03月25日

名鉄百貨店が変わった

日本の百貨店の特徴は、個別の店舗ごとに仕入れ、委託販売、に派遣社員。

百貨店は、ただ場所提供で、自分で社員を抱えず、商品も抱えない。

ブランドをもつ納入者が、出店する店舗を選び、商品を回す優先順位も決める。

百貨店は返品自由だが、価格設定は納入者側により決められる。

リスクもコストも、百貨店はつとめて負わない。

だが、伊勢丹は違うという。

仕入れ担当者が商品の発掘に力をいれ、、自らのリスクで発注する場合も多いとされる。

また外商部に頼らず、個人消費者と向き合っているとも。

名鉄百貨店が3月22日、グランドオープンした。

伊勢丹のノウハウを取り入れた売り場の風景は、これまでとは違う。

今回のオープンにかける名鉄百貨店の意気込みは、名古屋市および周辺への大型チラシの大量配布で、見て取れる。

黒田知永子トークショー、神ひろし&前田麻衣子アナトークショー、ZIP-FMの都竹悦子公開放送など各種イベントで、並々ならぬ熱意が伝わってくる。

名鉄百貨店が変わった。
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2007年03月18日

三越観覧車が文化財へ

懐かしい子供時代がよみがえる。

三越名古屋栄店の屋上観覧車が刻の文化審議会の答申で、文化財として登録されることになった。

1956年12月設置された観覧車は、多くの名古屋市民に愛されながら、商業史の近代遺産として、戦後とともに歩んだ。

だが愛知万博が開催された2005年7月をもって、休止。

再開の予定はないが、使用できる状態であるという。

この観覧車が、それほど貴重な文化遺産とはつゆ知らず、名古屋市民にも少し驚き。

三越屋上の8階から見渡す栄の街並みは、三越より高いビルが周りを囲む。

このビル群を見渡せるように、観覧車が再開されることになれば、三越への集客が図られるばかりか、栄地区全体の活性化にもつながろう。

北はテレビ塔、東はオアシス21、西は少し遠くにミッドランドスクエア、ツインタワーズなど名駅摩天楼が望める。

ぜひとも再開を検討して、三越、いや栄のシンボル・スポットにしてもらいたい。

★三越観覧車が文化財へ(名古屋経済新聞)
posted by rakuyen at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 三越 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月15日

松坂屋の名が残って良かった

名前が残ることになって良かった。

「松坂屋」も「大丸」も、名前が残ることになって、双方のファンも、ちょっぴりホッと胸をなでおろしているかも。

松坂屋は名古屋を象徴するブランド、その名前は絶対消してはならないという名古屋人は多い。

松坂屋ホールディングの岡田邦彦・会長によると、今回の経営統合は、企業価値を高めての攻めの経営だという。

だが、消費者にとって、このメリットは何なのか?

仕入れコストが安く、それで価格が安くなるというのであれば、消費者は歓迎するだろうが、果たして消費者は値段を期待するだろうか。

新撰組の土方歳三が少年時代に奉公したといわれる松坂屋上野店。

にも拘らず、新撰組の青いユニフォームは、大丸御用達だったとか。(笑)

歴史と伝統をお互いに背負った名門同士が経営統合するのも、百貨店業界を取り巻く環境が、9年連続マイナス売り上げと、厳しい状況が続いているためなのだろう。

東海銀行が三和と合併して、UFJとなって消えていったように、高い資産価値を誇る松坂屋が、儲けることが上手い大丸に、そのノウハウ欲しさに、軒を貸して母屋を取られる、ことはないのだろうか。

経営統合が成功して、業界のリーディングカンパニーとしての地位を不動のものにするのか、名古屋人は少し心配しながら、その推移を注意深く見守っている。

「軒を貸して母屋を取られる」とは:
一部を貸したために、やがて全部を、あるいは重要な部分を奪われる、こと。

名古屋経済新聞より
posted by rakuyen at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 松坂屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月07日

いよいよ完成近づくミッドランドスクエア

391qz7.jpgいよいよ完成近づくミッドランドスクエア
posted by rakuyen at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ミッドランドスクエア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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