2006年09月03日

ビルマのオッタマ僧を支援

ビルマの高杉晋作がオン・サン将軍なら、ビルマの吉田松陰はオッタマ僧。

オッタマは留学先のイギリスから帰国すると、今度は日本にやってきました。

日露戦争で、なぜ日本が大国ロシアに勝ったのか・・1910年のことでした。

まず京都・浄土真宗本願寺の探検家でもあった大谷光瑞を訪ね、そこから東京まで各界の人たちに接しようと、東京まで歩く予定でました。

たまたま名古屋で大きな葬式に出くわしました。

オッタマにとって日本の葬式は珍しい。

門の前でじっと様子を眺めていると、家人がカーキ色の法衣をまとった旅僧のオッタマを見つけ、ありがたそうに、お経のひとつでも上げてもらえれば、功徳になると、丁重に家に招きいれました。

この家の当主は、オッタマに魅せられ、家に引きとめ、オッタマは何日も滞在しました。

この当主こそ、松坂屋伊藤次郎左衛門でした。

伊藤次郎左衛門は名古屋の豪商。オッタマを3年間、面倒を見て、妹まで日本に呼びました。

伊藤次郎左衛門はオッタマを精神的も、経済的にも支援したのでした。

オッタマはその間、日本を学び、東大で教壇にも立っています。

当時のビルマはイギリスの植民地。オッタマはその独立のために日本で学びました。

第2次世界大戦後、独立を果たしたビルマはその後、ミャンマーとなったが、鎖国のような状態でも、伊藤家への恩義を忘れず、関係者は入国するのも容易な手続きですむようです。

さすがは、歴史のある松坂屋です。
posted by rakuyen at 15:10| Comment(3) | TrackBack(0) | 松坂屋の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
祖母(他界)母から聞いていた話ですが、自宅に(名古屋市)何ヶ月か滞在(かくまっていた)そうで写真も残っています。伊藤家とも懇意にしていた関係と思います。私が(現在56歳)子供のころに祖母から写真を見せられ『この人はオッタマさんというが知っとるか』と問われ当然「知らん」と答えたことをかすかに覚えています。ひょっとしたら、この葬式は我が家の関係かも知れません。
Posted by 佐分良平 at 2007年05月17日 13:25
祖母(他界)や母から聞いていた話ですが、自宅に(名古屋市)何ヶ月か滞在(かくまっていた)そうで写真も残っています。伊藤家とも懇意にしていた関係と思います。私が(現在56歳)子供のころに祖母から写真を見せられ『この人はオッタマさんという偉いお坊さんだが知っとるか?』と問われ当然「知らん」と答えたことをかすかに覚えています。ひょっとしたら、この葬式は我が家の関係かも知れません。当時祖祖父は当時の七大紡績会社の一つや、東邦電力のバックアップをしていました。
Posted by 佐分良平 at 2007年05月17日 13:29
佐分良平さま

このたびは貴重なコメントまことにありがとうございます。
今後のサイト運営に参考とさせていただきます。よろしくお願いします。
Posted by 管理人 at 2008年03月13日 10:30
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